The Midnight Seminar

読書感想や雑記です。近い内容の記事を他のWeb媒体や雑誌で書いてる場合があります。このブログは単なるメモなので内容に責任は持ちません。

若松孝二『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』

 ベルリン国際映画祭と東京国際映画祭で賞を取っているとのことで、万人受けするテーマではない(しかも、メチャクチャ暗い)にもかかわらず、劇場の客入りは想像したよりも盛んだった。かなり出来の良い作品で、この映画は今後、たとえば大学の(社会科学・社会思想系の)授業なんかで教材として利用されるケースもたくさん出てくるんじゃないだろうか。


 映画は、「60年安保闘争」後の政治運動の歴史の簡単なおさらいから始まり、最初はニュース映像などを使用したドキュメンタリー番組のような作りなのだが、途中からはノンフィクション映画として物語に入り込んでいくことになる。
 学生運動・労働運動を担うさまざまな組織の離合集散のなかで、暴力(武器)による革命を志向するいくつかのグループが「連合赤軍」を結成し、キャンプ場みたいな「山岳ベース」で疑似的な「軍事訓練」に励む。その極度の緊張感のなかで、「革命」へ向けた組織の純粋さの保持のため――もちろん理屈の上では、の話だが――に、“リンチ”による締め付け(浄化)が始まって、約1ヶ月半の間に12名の犠牲者を出すことになった。そして、活動を嗅ぎつけた警察からの逃走の末に、立てこもった「あさま山荘」での銃撃戦で幕を閉じるわけだが、この活動末期までを連合赤軍のメンバーの視点(つまり組織の内側)から丹念に描いたのがこの作品である。


 連合赤軍の“銃撃戦”やら“リンチ殺人”程度のことは、世界の政治運動の歴史のなかでは日常茶飯と言って良いぐらいありふれたものだ。また、「総括」や「銃による殲滅戦」といった意味不明な言葉が組織を支配していくという現象も、群集心理の働きとして珍しいものではない。
 それでも連合赤軍事件が一定の重要性を帯びたものとして取り上げられるのは、「日本では珍しい事件だったから」ではなく、この事件が、日本の戦後政治文化史の重要な折り返し地点だったからである。この事件を境にして、いわゆる「政治運動」「学生運動」は急速に勢いを失って、「大衆運動」に発展する可能性が絶たれてしまったし、「産業社会」の高度成長が終焉して「消費社会」の幕が開けたのもこの頃からだ。
 この「折り返し」がもつ重要な意味合いについて語るためには、「近代論」とか「戦後論」みたいな巨大なテーマに手を伸ばす必要があるから、それはそれで暇な人が取り組めばいい(笑)。しかし、だいたいどんな事件であったのかは、忙しい人だって知っておいた方が良いだろう。政治史や政治思想に関心を持ったことのない人でも、この映画を一度観ておけば「過激派の政治運動」についてひとつの具体的なイメージを持つことができるだろうし、異様に強い存在感のある内容だから、映画を見た夜にWikipediaかなんかでちょっと調べ物をしてみたいと思ったりもするだろう。要するに、「けっこう勉強になる映画」なわけです。


 制作に関わっている人は、まぁ左翼系の文化人が多いから、たとえば劇場で売っていた公式ガイドブックなどはもちろんイデオロギー的なバイアスのかかった内容で、読むに堪えない記事も多い。しかし映画自体はひたすらにリアリティを追求したものなので、変なバイアスは感じられなかったし、左翼的なイデオロギーがうっすらと織り込まれているにしても、あの事件の顛末をひと通り追いかけた実録映画を撮ってくれたこと自体がものすごく「人々の役に立つ」ことだ。こういう映画はどんどん作って、どんどん観れば良いと思う。(公式ガイドブックも、半分ぐらいは読み甲斐のある記事だ。)


 連合赤軍事件そのものについて思うところを述べ出すと長くなってしまうので、2点だけに絞ってメモを残しておく。平凡だが、連合赤軍を論じる際に不可欠と思われる2つの視点である。


(1)マクロな問題としては、「連合赤軍」が日本社会にもたらした最大の悪影響は、「政治的に真剣であること」一般に対する忌避感のようなものを生んだことではないか、ということである。より正確にいえば、政治的に真剣であることの心理的な重みに耐えたくない人たちに対して、「政治については考えない、議論しない」という選択をすることの正当化の材料を与えてしまっている可能性があると思う。
 多くの人が選挙には出かけるけど、どういう理由でどの政党に投票したのかを話し合うことが稀であるというのは、じつに不思議なことだ。話し合うとしても、「イラク戦争」や「チベット問題」に対する自民党政府の対応はどう評価すべきか?みたいな面倒な論点には触れない。これが現代人の作法である。
 今の日本では、大学でも会社でも家庭でも、熱を込めて「政治」を語る人間は、「うわぁ、こいつ語り出したよ」みたいに危険視(もしくは蔑視)の対象となるのが普通であるw*1。で、その危険視というリアクションの背後に、具体的に「連合赤軍事件」がイメージされていることはほとんどないだろうけど、うっすらと潜在的に、「ヤバい政治運動」の記憶が横たわっている可能性はあると思われる。政治で熱くなる奴はヤバいという、一般的なイメージだ。
 「政治的であること」を大多数の人が忌避するという状況は、じつは政治に関する議論の土台を脆弱にして、むしろ「全体主義」の出来を準備する土壌とすらなるにもかかわらず、「政治的であること」の方が危険視されてしまうというのは不幸な話である。
  これは、オウム事件が「宗教的情熱」一般に対する忌避感・嫌悪感を育んだことと似ている。今の日本で「宗教」といえば、「外国の文化」や「昔の文化」(つまり「他人事」)であるか、もしくは「怪しい活動」の代名詞でしかない*2。こうしたイメージの形成に、一部のカルト教団が引き起こした事件が寄与していることは間違いないだろう。しかし、「宗教的であること」を徹底して拒否すれば人間はニヒリズムに陥るほかなく、そしてニヒリズムこそが、カルト宗教への需要を育むのだから皮肉なものである。


(2)ミクロな問題としては、「集団的熱狂」や「群集心理」が人々を危険な行動に駆り立てるというメカニズムは、人間社会の歴史のいたるところに見出せるもので、我々にとっても決して他人事ではないのだということである。連合赤軍事件は、ひとつのありがちなパターンであったということだ。
 連合赤軍のリンチ殺人の凄惨さに比べて、その背後で交わされていた言葉や思想は絶望的に貧しかった。「総括」「自己批判」「同志的援助」「敗北死」「銃による殲滅戦」「自己の共産主義化」など、意味の内実を失った観念語を振りかざし、自分で振りかざした言葉の“自動運動”に引きずられて、思想と行動の袋小路に追い詰められて行ったのが森恒夫であり、その他の連赤メンバーだ。
 このメカニズムは、フランス革命やナチズムやスターリニズムのような巨大な社会実験として出来することもあれば、オウム真理教のようなカルト集団の犯罪として立ち現れることもあるし、あるいは一時の「構造改革」ブームのように、我々の日常的なコミュニケーションの中にすっかり根を降ろしてしまっている場合もある。


 連合赤軍事件を、狂気に駆られた一部の人々が引き起こした偶発的な事件として片付けるのではなく、あの種の「狂気」に人間を追い込んでいくような社会心理のメカニズムはありふれたものとして存在するのだということに、我々は敏感でなければならない。しかもそのメカニズムは、表向きは「民主主義」のような形を取って作動し始めるから、なお厄介である*3
 連合赤軍の連中は「狂っていた」のではない。狂っていたというよりも、あまりにも「愚かだった」ために、そうした社会心理的なメカニズムとの格闘に敗れた、あるいはそのメカニズムの存在に気づくことすらなかったのである。そう理解しておけば、この種の馬鹿げた事件を将来においていくらかは防ぐことができるだろう。

*1:まぁ外人さんも、ふつうの席では政治的に論争になりそうなことには触れないという感じがマナーになってるけども。

*2:「それって宗教みたいだね」というときの「宗教」には「ヤバい」という意味がこめられているが、これはかなり変な語法である。

*3:「ヒトラーは民主主義の制度の中から〜」という決まり文句を思い出しておけば良い。